27歳で初めて海外移住。日本語ゼロからの上達法。《夫ー15年の軌跡》

こんにちは、ハワイぐらしです。
先日、Twitterで、

私の夫は、27歳で初めて海外移住。 ハワイから日本。
新婚3カ月、日本語ゼロの状態で行きましたが、15年住んでいたら、日本語がたいそう上手くなりました。
新聞読めなくても、日本のバラエティー番組観て笑える方が、生活するには役立つスキル。
逆バージョンもしかり、何歳になっても遅くない。

とツイートしましたら、反応が結構ありましたので、その辺りについて、詳しく書こうかなと思います。

大人の海外移住バージョンについての振り返り記事です。

一歩もハワイから出たことがないローカル日系アメリカンだった夫

夫は、ローカル日系4世です。
ハワイの日系4世ー日本語は話せない。
親は3世ー日本語は話せない。
祖父母は2世ー日本語を少し話すけど、アメリカで生まれているので、英語も話す。
曽祖父母が1世ー日本から移住して来た。日本語を話す。英語は得意ではない。けど、もう他界している。
という、感じです。

私が、夫と出会ったのは、大学時代です。
同じ大学に通っていました。
出会った時は、彼は日本語、全く出来なかったです。
私は移住5年目で、英会話はそこそこの域に達していましたので、会話は全部英語でした。

大学では、外国語の単位が必須だったので、彼は日本語の授業をとっていました。
しかし、壊滅的に、覚えが悪い。
なんて、覚えの悪い人なんだろう。と心配になりました。
それは、美術史のテスト勉強などでも、思ったのですが、
変に語呂合わせして、覚えようとするあたり、私的には理解出来ず…。
「きちんと歴史背景を理解したら、そんなのすぐ覚えられる!!」という理屈タイプの私に比べて、
非常に感覚的にしか考えられない人でした。
(そして、そのDNAは長男にまっすぐ受け継がれております…)

私に出会うまで、一度も海外に出たことがない。
行ったことがあるのは、マウイ島と、カリフォルニアのみ。
パスポート?持ってない。
という人でした。

なんで?勿体無い…。
私は、幼少期にシンガポールに住んでいたり、海外旅行にも行ったりしていたので、
その感覚がよくわかりませんでした。

ということで、非常に気の毒に思った私は、(余計なお世話なのかもしれませんが)
彼を日本に連れて行き、日本の素晴らしさを堪能してもらい、
結婚したら、日本に住もう。と思わせることに成功いたしました。

日本語片言なのに、新婚3ヶ月なのに、日本に移住

当時は、私は25歳。彼は27歳。
まだ若かった。と言いつつも、新卒の歳ではないし、仕事をしないとならない年齢。
貯金もさほど無かったです。

私と彼は、グラフィックデザインを勉強し、2年ぐらいハワイで働いていたので、
デザイン事務所での勤務を望んでいました。

私も彼も、何もツテが無い状態からスタートした就職活動。
デザイン事務所に片っ端から履歴書を出して、作品ファイルつけてメールしたり、
中途採用募集してないところでも、気になった事務所に電話して、話だけでも聞いてもらったり。

彼の日本語は、本当に片言程度。読み書きは、ひらがな、カタカナ少し…。という状態。
運良く、英語の取り扱い説明書の仕事をやっているデザイン事務所に、就職することが出来ました。
でも、社員の方々はみんな日本人、日本語、皆さん片言の英語で親切にしてくれました。
私は、ほとんど保護者のような感じでしたので、必要書類を書き、持たせ、電車の乗り方を教え、
送り出しておりました。

中央特快
↑どこに行くにも、まずは中央特快に乗っていました。
フリー写真素材ぱくたそ

(私も3ヶ月後に、やっとデザイン会社に拾ってもらいましたが、
相当な激務で、身体を壊し、このままではダメだ…と2年後に退職しました。
でも、憧れていた東京のデザイン会社での勤務は良い経験となりました)

日本語会話は、現場で習得

当時、ハワイから来た日本語が出来ない青年を、良く雇ってくれたな。と。
日本の方々は、英語とハワイが好きなので、それを武器に、
いつもニコニコ、笑顔で頷き、コツコツと仕事をこなしていくことに徹していた最初の頃。

少し日本語が出来るようになり、その後日本のデザイン会社を何社か渡り歩きましたが、
世話を焼いてくれる人が、常にいました。
(私じゃなくて、会社の人や、クライアントさんとか)
人に取り入るのが、上手かったんだと思います、客観的にみると。

デザインの専門的な用語も、現場で学びました。
日本語で打ち合わせもして、時には、話すよりその場でラフを描いて伝えたり。
日本人は、キャッチコピーを英語でカッコよく決めたい。
という風潮がやはり強かったので、その際は英語が非常に役立ち、重宝されました。

英語を話す人が周りにいなかったのも上達の鍵

外資の会社だと、英語を話す社員の方がいるのでしょうけれども、
勤めたところが、全て日本のデザイン会社だったので、英語を話す人が周りにいませんでした。
住んでいたのは東京西側の郊外で、ご近所さんにも英語を話す方はいません。
なので、驚くほど日本語が上達していき…

家でも、私との会話がいつしか日本語ばかりになり、
子供が産まれても、日本語で話し、英語は一切教えず。
本当に私も夫も、英語を話す必要が無くなりました。

日本のテレビも影響大

テレビも映画も、全部日本語のものを見ていました。
バラエティ番組も、来て2年目ぐらいからは理解していたと思います。
ASAYANの、モー娘。オーディションとかを観ていたり…
気になる芸能人の子が出ている、トーク番組も観たり。
朝の情報番組、昼の情報番組、音楽番組も好んで見ていました。
広告の仕事をする時に、日本のタレントさんを使うので、芸能人知識も得ることが出来ました。
流行りモノを抑えておくことも、仕事には必要だったので、役立ちました。
というか、ただテレビが、好きだったんだと思いますが。

いまだに「IPPONグランプリ」とか観て、笑えるのが…
かなり、日本語レベルが高いと思っています。

読み書きはそんなに上達しなかった

子供達の英語習得記事でも、何回も書いていますが、読み書きは難しいです。
特に日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字と、膨大なので、更に大変です。

でも、キーボードがあれば、簡単なメールぐらいなら、出来る様になりました。
難しい文章などは、私や会社の人が手伝っていました。

しかし、役所や銀行での書類書き…住所と名前が、間違えまくるので、何回も直されていました。
日本の書類システム、なんとかして欲しいです。
なんでも、何回も直筆で書かせるのが、外国人には苦痛です。

とにかく、デザイン、レイアウト、英語のコピー、コンセプトメイキング力を磨いていけば、
多少日本語の読み書きがあやふやでも、大丈夫でした。

日本で独立した後、ハワイに帰ることに

15年の月日が経ち、すっかり日本人の様になった夫でした。
東京西側から都心への通勤にも疲れ、独立することにしました。
そんな折に、ハワイのデザイン会社から、手伝って欲しい。と言われ、ハワイと日本を行ったり来たりするうちに、
「ハワイ帰りたいなー」と思い始め、家族全員で、ハワイに移住。
となった訳です。

そして、この記事に続きます。
>初めまして!ハワイぐらしです。

15年の間に、日本語、カルチャー、全て吸収し、デザイナーとしてのキャリアも積む事が出来ました。
もちろん、山あり谷ありでしたけれども。
私も、ハワイに来た時は大変だったし、夫も日本に来た時は大変だった。
次は、子供がハワイに来て大変だった(笑)
今は、家族全員が、大変さを共有しております。

いつ始めても、最初は大変だけど、ずっと続けてたら、なんとかなる。という事を、
今も実践中です。

因みに、夫は、ハワイに帰って来たら、日本語をあまり話す機会が無くて…
日本語を忘れそうだと言っています。
でも、まだ子供達と日本語で話します。
ただ、ボーイズがどんどん英語になって来ているので、色々と時間の問題かと。

 

中央特快

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